浅間神社の御案内

御祭神 木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)

 富士山本宮浅間大社(富士宮市鎮座)は、第7代孝霊天皇の御代、富士山が噴火し鳴動常なく人民恐れて逃散し国中が荒れ果てたので、第11代垂仁天皇は其の3年に浅間大神を山足の地に奉り、山霊を鎮められたのを起源とし、ついで第12代景行天皇の御代日本武尊が東夷征伐の時、駿河国に於て賊徒の野火に遇われましたが富士浅間を祈念して其の災を逃れ給い、其の賊徒を征服すると山宮の地にて厚く浅間大神を奉られました。其の後第51代平城天皇の大同元年、坂上田村麿勅を奉じて現在の地に壮大な社殿を建立し山宮より遷し鎮め奉りました。爾来1100余年全国浅間神社総本社として崇敬をあつめております。
 大森浅間神社は其の流れをくみ、富士浅間とも称せられ、江戸時代当時隆昌を極めた山嶽信仰に基いて富士浅間神社を東海道通路の要衝大森の地に勧請奉斉せられたものと伝えられております。又藤浅間とは富士浅間の意と思われますが当時境内に藤の大樹があり陽春4月の頃には藤花盛にして附近の名物として知られた処から藤浅間の名が生まれたものと思われます。右の藤樹は明治初年頃まで残存し、尚数歩を隔てて御手洗いの側には杉の切口凡そ目通り6尺以上と思われるものもあり、樹齢300年を経たと思われる老樹が繁茂していた事は古老の伝える処であります。
 柳々旧大森には、澤田、谷戸、浜端、川端、堀の内、原等の地名があり、徳川末期に陳屋があって陳屋堀があり、其の内を堀の内と云い、地名澤田とは現当神社氏子区域であって、古くは馬込、池上の山より海に出る所一面の澤地であって芦など生茂っていた所から此の地名が生まれたものと思われます。
 浅間神社は此の内の高所に鎮座し、四方は稲田にして民家亦点在し、遠く富士の秀麗を仰ぎ眺望絶佳幽翠なる神域であった事が偲ばれます。附近に富士見耕地と云う地があり、又神社を隔てて鶴渡りの地名があり、由来当社は大森唯一の富士浅間社として知られ、年々富士登山の際は大森、入新井、新井宿、羽田村等の先達等が必ず当社に参って道中平安を祈願して出発した事は現在境内に在る浅間神社先達の碑に氏子・北原・中原・南原・沢田・不入斗・八幡・羽田・堀の内とあるのを以ってしても知られるところであります。
 白雪をいただいた富士の霊峰は是を望み見る人々に雄大と壮巌、神秘と静寂の感を与えずにはおきませんでした。に富士が霊峰といわれる訳があり、これを望み得られる範囲に富士信仰は広がってゆき、浅間神社は富士山を挟んで駿河側と甲斐側とに大社を発生せしめ、特に東海道は表玄関である為、現在の富士宮市にある浅間神社が富士山本宮浅間大社としてその名を専らにしており、八合目以上が表も裏も全部浅間大社の境内となっていることは其の一つの現れであります。
 浅間大社は「せんげん」と呼びますが、もとは「あさま」と呼び、「あさま」の意味は「あさくま」即ち湧水が浅く隈をなして流れ出る処で祭りの行われた信仰にその起源を持つものであります。
 浅間信仰は富士山に対する霊峰信仰が一面にあると共に農民にとっては其の麓の湧玉の池より湧き出る泉に対しても「あさくま」の限り無き神の信仰があると云われております。
 当神社は其の後、大正7年4月耕地整理の為、現平和島駅の西側北6丁目に移転し、後に氏子の増加と道路拡張の為、更に現在地に、紀元2600年(昭和15年)を記念して御造営御遷座申し上げた次第であります。幸にして戦災をまぬがれたことも、火防の神の御祭神の御神徳に依れるものと感謝する次第であります。又昭和23年開園された、附属浅間幼稚園も、安産・子育ての守護神の御神徳によって大勢の子供達が神様の良い子として世に送り出しております。

浅間神社社紋(桜花紋)

 その美しさからこれを文様に用いたことは藤原時代に始まり、家紋としたのは桜井氏・吉野氏・花本氏等で、その氏姓に因んだものであります。
 これに一重桜と八重桜及山桜がある神紋として一重桜のものは甲斐の浅間、佐賀の田島神社、八重桜は京都の平野、神戸の生田、塩釜の塩竈神社で用いていますが、塩竈ものは特に塩竈桜といわれています。山桜は鎌倉宮・滋賀の近江神宮、能登の気多神社で用いていますが、気多は丸に山桜、近江は鎮座地柄、志賀の山桜に楽浪(さざなみ)を周囲に配しています。福岡の竈門神社では桜花の中央に感応の二字を収めております。
 それぞれ桜に因む土地であるとか祭神に因むかの縁から神紋としたもので、甲斐浅間がその祭神を木花咲耶姫命とする所から来たことはそのうちでも代表的なものであります。

境内末社稲荷神社

  稲荷神社は御祭神・倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を奉斉し、和同4年2月7日京都伏見三ケ峰に稲荷大神が出現(又は鎮座)したとも伝えられ、其の2月7日が2月初午の日に当たった処から2月初午の日を稲荷神社の大祭日として奉り、御神徳は五穀豊穣の神として集庶に尊信せられております。